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自己を創り出す能力
by ハリー・パルマーいい本を読んだり、いい劇を観たりしたあと、しばらくの間登場人物の誰かの特徴を自分でも身につけてしまったという経験は誰にでもあることでしょう。新しい言い回しや新しい着こなしをしてみるようになったりします。横柄な身のこなしや一風変わった意見などを持ってみたりするかもしれません。新しい視点を探究してみるのは気持ちのいいものです。
内心ではそれが単なる演技にすぎないと私たちはわかっていて、間もなく「本当の」自分が戻ってきます。
これと同じことが否定的な形で表れることもあります。私たちがあまりよく思っていない誰かが持っている特徴が「本当の」自分の一部でもあったことを認めざるを得ないような状況を、私たちのほとんどが経験したことがあるはずです。自分で子供をぞんざいに扱ってしまってから、自分が子供だったときにも大人から同じように扱われたことがあったと気がついたり、「他の誰かが発言した時には自分はその意見に抵抗したことがある」というだけの理由で、その意見を自分で主張したりしているのに気がついたりすることがあります。
もっと驚くべきことは、私たちが知っている誰か(もっとよく接してあげるべきだったのにそうしなかった相手)がかかっていた病気や疾患と同じものに自分もかかってしまうということがあるかもしれません。抵抗してきたこのような特徴をどんなにがんばって押し殺そうとしてみても、それは再び表れてきます。自己というものの構造について知られている事柄について研究を始めると、自己というものは様々な好み(様々な信念)と、それらの好みが主張される場となる<相対的時間と空間の場>とによって構成されているということがわかってきます。これらの好みというものは、オーバーヘッド・プロジェクターの白い光をスクリーン上でひとつの映像へと変える半透明のトラペン・シートのようなものです。これらの<トラペン・シート>の中には、簡単には取り除けないものがあります。なぜなら、それらは「それが唯一の選択肢である」と自動的に主張しているいくつかの出来事についての忘れ去られてしまった記録を包含しているからなのです。これらの<トラペン>を通してスクリーン上に投影される映像が、「ここに私がいる。これが私だ」と感知されているのです。
以上のことのほとんどは、哲学/宗教/心理学の標準的な概念であり、ほとんどの通俗的学派/宗派によっても理解されていることです。各学派/宗派は独自の信念体系の<トラペン>の影響下にありますから、どの学派/宗派の<トラペン>の方が好ましいかという点に関しては広く意見の相違が見られます。共通項は、「たいていどの学派/宗派もいくつかの<トラペン>を擁護し、他の<トラペン>には反論する」という点だけです。<トラペン>を据え付けたり、取り除いたり、修正したりするという目標は、これらの学派/宗派から生じた教義や聖典や技術のほとんどのものが取り扱っている主要な課題です。その方法、および、どの<トラペン>を取り扱うべきであるかについての意見は異なりますが、何かを変えようとする決意という点においては見事なほど類似しています。
<トラペン>を修正するための最も基本的で、恐らく最も危険の少ない方法は、主張されてしまう<トラペン>の原因となっている忘れ去られた出来事の記録に人を再びなじませることによって成り立っています。望みの綱は、その出来事に関して新しい結論を下して、その<トラペン>を変更し、その結果、自己の中で変化が達成されるということです。
このようなアプローチにおける主要な困難は、「青い<トラペン>と黄色い<トラペン>を通して白い光を投影すると、それはスクリーン上では緑色に見える」という事実によって説明できます。もしも私たちが緑色の光を取り除こうと決意するなら、おそらく私たちは緑色の<トラペン>を探し始めることでしょう。でもこの場合、それは存在しないのです。もしも、この<緑色の光>に相当するものが、精神的なものが原因の身体的症状だったり、憂鬱状帳だったり、人々に受け入れてもらえないような行為であったりする場合、そのような状態を創造しているのは具体的にどのような<トラペン>の組み合わせなのかを突き止めるのには困難が伴うことでしょう。
この「つまずきの石」のせいで、私たちの多くは「<トラペン>の正しい組み合わせを確実に消し去ることができるように、すべての<トラペン>を取り除くことができたらいいのに」と思ったことがあることでしょう。そうすれば、真っ白いスクリーンの上で、私たちが惹きつけたい人々の関心を惹けるような自分を創ったり、私たちが達成したいものと整合するような自分を創ったりするために、自分で選んだくトラペン>に取り替えることことができるわけです。
そこで、アバター・コースが文字通り私たちを救いにきてくれたのです!私たちがアバターで体験した成果の一つは、<アイデンティティーの無い状態>に近づく能力や、それを達成できる能力でした。言い換えれば、特徴や存在場所を持たない自己を体験するという能力です。これこそが<悟り 一 至高の境地>というものです。すべての瞬間においてどんな選択でもできるし何の選択をしないこともできる能力、自分自身の<トラペン>を自分で選べる能力です。その状態が<本当の自己>であり、アバターなのです。アバターは私たちが望む通りのイメージを具現する人生を創り出す機会を提供してくれましたが、私たち自身による自主的動きがなければ成功は保証されないということもわかりました。
新しいアバターとして私たちが直面した最初の課題は、私たちの選択を以前は妨げてきた様々な努力を統合することでした。世界は親切にもそれらの統合すべきものを提示してくれました。私たちの多くにとっては、この統合は、コース中のいくつもの練習で直面したチャレンジよりもずっと大きなチャレンジでした。でも、自分の人生の舵取りができるという贈り物が与えられたときに、誰がそれに背を向けるでしょうか?
アバター教材がこんなにも信じられないようなスリルを解き放つことになることを、予測できた人はいたでしょうか?
アバターの使命
by ハリー・パルマーこの世におけるアバターの使命は信念体系を統合するための触媒として作用することである。
アバター・コースやアバター・マスター・コースを受講した人々にとっては、この使命の宣言文は、本能的に当たり前のことと感じられるので、それについて語られることはほとんどありません。異なる国々のアバターたち同士の間にさえも自然な一体感が存在し、それが彼らの努力をこの使命の推進に向かわせる原動力となっています。命令や監視などが必要になることはめったにありません。
自然に起こってしまうこの協力について、アバターを経験したことのない誰かに説明しようとすることは、なかなか興味深いチャレンジとなります。
明らかなことですが、円を描いたり、何らかの分量や資質を取り囲んだりするとき、<内側>と<外側>を作り出すことをせずにそれを行うことはできません。線が引かれればいつでも、2つの側が現れます。それは、円の場合のように<内側>と<外側>ということもあれば、垂直の線の場合のように<右側>と<左側>、水平の線の場合のように<こちら側>と<あちら側>ということもあります。
この2つの側面という原則は、二元論や対極相対性、あるいは単に、中国思想の陰陽という概念などとして知られています。光は暗闇に依存しています。上という方向は下という方向をも定めることなしには存在し得ません。善は悪に対して相対的なものです。行われるべきことが決まれば、同時に行なってはならないことも決まってきます。
何をも包含せず何にも包含されていない本来の<気づき>が自らを限定しようとすると、自分はこういうものだという限定と同時に、こういうものではないという限定をも行なうことになります。1回の筆の動きだけで、<我あり>と<他者>という2つの側面が現れます。この限定に気づくときが、意識の誕生です。
意識は、自らをどんなものとして限定したかということによって、自己を知ることになります。つまり、創り出きれた線または境界線の一方の側として自己を知るのです。したがって、創造の所有と制御を半分に減らしてしまったということです。
意識はそれ以後何回くらいその所有と限定を半分に減らすことを繰り返すことができるのでしょうか?
意識が自らを限定して否定することを31回行なったとしたら(幾何学の31分割のように)、地球という惑星の上に20億以上の<他者>が存在することになった理由を説明できることになるでしょう。これらの20憶以上のものが、それぞれ、さらにその10倍の回数だけ分割され自己否定されたと考えれば、恐らく宇宙の中のすべての生き物とすべての創造物が存在するようになった理由を説明できるでしょう。
私たちの一人一人が経験する人生というものは、私たちが<自分>というものとして創造し限定した質と量と、私たち自身が創り出したけれどもそれは自分ではないと主張している質と量との間で、抵抗したり欲求したりする動きの相互作用なのです。(意識的な意図とは、単に、<自分で自分だと思っているもの>を意識的に転換するということです。)二元性を超越した本質を経験しているアバター・マスターにとっては、人生は単純で楽しいものです。
アバター・マスターは、受講生が「これが私だ」と感じている要素と「これは私ではない」と感じている要素との間に和解をもたらすための道具やテクニックの使用法を教えるのです。これは単なる理解というもの以上のものです。
テクニックが上達するにつれて、2つの側が色褪せて消えて行きます。アバター受講生は自分の意識の再構築を始めます。壁を壊し、空間を拡げ、方向を変えながら、存在との調和の感覚と存在の全体性の感覚を速やかに発見することになるでしょう。そのような在り方は、アバター・マスターによる<導入セッション>以前には、密教的宗派のごく少数の人々のみが経験したことがあるにすぎなかったのです。
この調和と全体性には、自然で合理的な空間の拡がりと、<他者>に対する真の寛容さが伴います。
コミュニケーションが始まり、様々な視点が探究され、修正されます。分離と相違は、もともとそうであったように幻のような亡霊の姿になって溶け去ってしまいます。努力なしの愛が生まれます。
新しいアバターや新しいマスターの努力は、「...信念体系を統合するための触媒として作用すること」という、アバターの使命と本能的に一致するのです。
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